スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

祖父母と叔父夫婦に寄せて

母は僕たち兄妹が小さい頃、
よくこんな話をした。


時は第2次世界大戦までさかのぼる――。


母の父、つまり僕の祖父は海軍の兵士だった。

祖母は女学校を優秀な成績で卒業し、
宮城県知事賞を受賞するような立派な女性だった。

ふたりは夫婦となり、まず母の姉が生まれた。
そして母が生まれた。1940年のことである。


一家は海軍の本拠地である横須賀に住んでいたが、
先の戦争が激化したため、
母は祖父母の故郷である宮城県桃生郡鳴瀬町(ものうぐんなるせちょう)、
現在の宮城県東松島市に疎開した。

そこでは、曾祖母が母の面倒を見ていた。

母は5歳になったとき、
毎日、新聞配達を手伝った。


終戦の前の年――1944年12月、
東京湾沖で祖父の乗る戦艦が敵の攻撃に遭い沈没した。



――海軍は過酷な訓練で知られる。

祖父が海洋での泳ぎの訓練で、
泳ぎを終えて艦にあがろうとすると、
上官から海に突き落とされた。

海軍の戦艦に乗っていれば、
いつなんどき敵の攻撃にあって海に放り出されるかわからない。
とにかく生き延びるために、
徹底的に泳ぎの特訓を行うのである――。



東京湾沖で沈没した艦から海に放り出された海軍の兵士たちは、
陸地を目指して必死に泳いだ。

その中に祖父もいた。

しかし季節は12月、冬の海である。
寒さと疲れから、仲間は次々と海の底に消えていく。
誰もが死と隣り合わせだった。

それでも祖父は必死に泳いだ。
死に物狂いで泳いだ。
なぜなら祖父には強い信念があった。


息子が生まれたのである。


何としても息子に会いたい。
その一心で一晩中泳ぎ続け、
ついに祖母と息子のもとへ帰ってきた。

僕はその話を聞くときいつも、
「なんて立派な祖父なんだろう」
と思った。


余談だが、
僕はこのような戦争にまつわる話を母からよく聞かされた。
そのためか、小さい頃は戦争の夢をしょっちゅう見た。

近所に買い物に行って通る道で、
決まって爆撃に遭う夢を見た。
布団を干しているその向こうで、、
戦闘機が空中戦をしている夢を見た。
そんな時は、恐ろしくていつもハッと目を覚ました。


時は流れ――

祖父母は戦後、
故郷である現在の東松島市の浜市(はまいち)に戻り、
その地で永眠した。

祖父の息子、つまり母の弟であり僕の叔父は、
東松島市の野蒜(のびる)に奥さんとふたりで住んでいた。

母の姉家族も野蒜に住んでいた。


そして2011年3月11日――

大きな地震と津波が東松島市を襲った。
野蒜の町は津波にのまれ壊滅的な被害を被った。

数日後に母の姉家族の無事が確認されたが、
弟夫婦の行方は分からかった。

そのあともなかなか発見されず、
みな覚悟を決めていたと思う。

そんなあきらめの雰囲気が漂っていた8月、
母の5人兄弟の4番目の弟から連絡があった。

近所の人が、
祖父によく似た身元不明者の写真を、
隣町の東名(とうな)で見たという。
行方不明だった叔父は、
どうやら東名で発見され既に火葬されているらしい。
妻である叔母は、
同じく東名で土葬されていた。
こちらは叔母の実家の家族が確認した。

祖父と叔父は本当によく似ていた。

母以外の兄弟3人が写真を確認し、
おそらく間違いないだろうということで、
DNA鑑定を行い3ヵ月が過ぎた。

そしてこの11月、
やっと叔父だということが確認され、
本日その叔父夫婦の葬儀が執り行われた。

震災のあの日から8カ月も経ち、
ようやく祖父母と一緒のお墓にお骨を収められた。

しかし祖父も祖母も、
こんなに早く息子夫婦と再会するとは思わなかっただろう。

祖父は息子に会うために命がけで海から帰ってきたが、
海はその息子をこの世から奪い去ってしまった。
そんなことを思うと、
僕は何とも言えない気持ちになる。

祖父と叔父は今頃、
好きだった酒を酌み交わしているのだろうか。
祖母と叔母はどんな話をしているのだろうか。


叔父さん、叔母さん、
どうぞ安らかに。



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

かぞくのはなしはダメだー

震災があってから、家族のことを考えない日がありませんよ。
わたしは18で実家を出てから、
自分ひとりで生きてきたような顔をして今東京にいて。
老いた両親を福島に置き去りにしていることに
とても後ろめたい気持ちがあります。

震災は、だれにでもあるはずのルーツをも
ものすごいエネルギーを持ってごっそり奪っていったんだね。

亡くなった人と、残された人と
違いなんてなにひとつないのに、未来はまったく違う。
ただただ、恥じない生き方をせねばなーと思いまする。

Re: かぞくのはなしはダメだー

ahikamoさん

人はそれぞれに歴史を持っているけれども、
今回の震災ではそれが一瞬にして奪われてしまったため、
何とも言えない無力感のようなものを感じました。
きっと皆さん同じですよね。

ただただ恥じない生き方――
まさにそう思いながら今回の記事は書きました。
でも「恥じている自分がいる」
ということも同時に意識させられましたよ。
どうしたら恥じないですむのか、
正直よくわからないのです。

福島は原発問題もありますし、
年を重ねて行くご両親のことはとても心配ですよね。
でもその“思いやる心”が大切なのだと思います。
今すぐに解決しなくても、
思い続けることで道が開ける気がします。
違いますかね?

命の歴史

叔父様叔母様の御冥福を心よりお祈り申し上げます。命には本当にそれぞれに歴史があるのですね。お祖父様と叔父様の感慨深い命の繋がりに心揺さぶられます。今頃はお二人でお酒を酌み交わしていることでしょう。人は母の胎内のおおいなる海で命を授かり地球の太古の歴史を辿りこの世に誕生すると。海というのはジブリのしし神様のように命を与えもし、また奪いもするのだろうか?3.11は命について真摯に向き合い命ある者が懸命に生きることの大切さを更に教えてくれました。叔父様叔母様が安らかな眠りにあらんことを御冥福を心よりお祈り申し上げます。微力でも私に出来る被災地への応援を続けて行きます。

Re: 命の歴史

Yママさん

コメントをありがとうございました。
返信が遅くなり申し訳ありません。

私の祖父や叔父だけでなく、
今回亡くなった方や被災された方にも、
それぞれ歴史があることに思いを馳せずにはいられませんでした。

ただただ言葉を失うのみですが、
おっしゃる通り残されたものが懸命に生きることで、
彼らの供養になればと思います。

自分の命だって、
明日はどうなるのか分かりませんから、
とにかく自分に正直に生きたいです。
能天気に歌っているように見えるかもしれないですが、
ささやかな音楽生活の中で少しでも誰かと喜びを共有できたら、
こんなに嬉しいことはないです。

被災地への応援の気持ち、素晴らしいと思います。
そのお心意気は叔父夫婦にも通じたと信じています。
ありがとうございました。
プロフィール

五十嵐正一

Author:五十嵐正一
初めまして!
神奈川県相模原市在住の声楽家の五十嵐正一です。小田急線相模大野駅から徒歩1分の音楽工房 うたの木で、声楽のレッスン、合唱・コーラスも行っています。
※歌のお仕事も承ります。お気軽にご連絡ください。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Twitter
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新コメント
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。